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「鋳肌は鋳型をなぜ写し取るか?」随想
新山英輔,2001年5月14日
鋳造の理想は鋳型形状を正確に転写することであり、湯流れさえよければそれは実現できるというのが一般流通観念である。
しかしこの問題はあまり単純に割り切らないほうがよいのではないか。
じっさいダイカストの鋳肌は金型のこまかい加工疵までもよく転写しており、これには感心する。
これを当たり前と言う人もあるかもしれないが、私は不思議だと感じる。
そんなによく転写するなら、なぜ金型や中子の隙間に溶湯がどんどん入って行かないのか?
たしかに隙間にバリができることも多いが、できないことだってある。
それなのに、なぜ表面の細かくて浅い傷がはっきりと転写されるのか?
これからますます大事になる鋳肌の形成について、私たちはほんの予備的な実験を試みた(鋳造工学2001年5月号)。
たとえば、るつぼの溶湯の中に平滑な銅のブロックをスーと突っ込んで引上げてみると、できた凝固殻の鋳肌はまことに滑らかである。
またブロックの表面の加工疵も正確に転写されている。
圧力も速度もない鋳造法でこのように正確な転写ができるのである。
2個の型をしっかり合わせてほとんど隙間をなくしても鋳肌をみればその合わせ目に沿ってちゃんと筋が見える。
ところがよく調べると、この筋は必ずしもでっぱった筋(背の低いバリ)ではなくて、むしろ逆に引っ込んだ谷である場合がある。
つまり鋳型に谷を作っておくと、逆に鋳物にも谷ができてしまうという皮肉な「逆転写」である。
こういう奇妙な現象は濡れとか、圧力とか、表面張力といった常識物理学だけでは理解できず、凝固の微妙な機構が作用しているのだと私たちは結論した。
考えてみれば鋳肌というものは溶湯の瞬間的な凝固で形成されるのだから、鋳肌のでき方が凝固現象に強く支配されてもちっとも不思議はないのである。
私たちの研究はごく限られた実験条件のもとで得られたものであって、実用条件とは大いに違う点があろうが、ダイカストに関係する技術者や研究者が「不思議」を感じてくだされば目的を達する。
これからぜひ鋳肌のでき方を当たり前と考えず、いろいろ疑問を持って観察して欲しい。
たとえば型を転写してできた表面模様が、でっぱりか、引っ込みか、という初歩的なところから調べてみたらいかがであろうか。
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